パーソナルデータ

身長:163cm
誕生日:11月15日
血液型:A型
出身地:東京都
所属:相模原パークレーンズ
プロ入り:2002年(35期生・ライセンスNo.365)
利き腕:右投げ(箸や字を書くのは左。球技は全て右)

<JPBAデータ>
アベレージ(2017年):217.79
公認パーフェクト:4回
2017年ポイントランキング4位
※2017年六甲クイーンズオープン終了時点

主な戦績

2017年
JPBA創立50周年記念大会 2位
宮崎プロアマオープン 9位(タイ)
2016年
MKチャリティカップ 4位
2015年
六甲クィーンズオープン 8位
宮崎プロアマオープン 優勝
2014年
六甲クィーンズオープン 5位
2013年
ROUND1 Cup Ladies 優勝
グリコセブンティーンアイス杯 4位
第45回全日本女子 2位
2012年
宮崎プロアマオープン 7位
第44回全日本女子 7位
2008年
DHC第3戦 4位
2006年
宮崎プロアマオープン 6位
BIGBOX東大和カップ 5位
全日本ミックスダブルス 7位
第38回全日本選手権 3位
2005年
DHC第2戦 5位
2004年
プロボウリングレディース新人戦 優勝
2003年
第35回全日本選手権 4位
通算3勝

Pリーグでの成績
Pリーグ第2戦 優勝
Pリーグ第3戦 2位
Pリーグ第6戦 3位
Pリーグ第9戦 3位
Pリーグ第13戦 2位
Pリーグ第31戦 3位
Pリーグ第42戦 2位
Pリーグ第50戦 優勝
Pリーグ第51戦 3位
第3シーズン 3位
Pリーグ第58戦 3位

家族構成

父、正年さんはドリラーでありコーチ、母親の礼子さんは6期生の元プロボウラー。 2歳年上の姉。

ボウリングを始めたきっかけ

幼い頃、家族でボウリング場に行くが、父親が熱心なコーチとなるため、それが嫌になりボウリングが苦手になる。
スポーツは小学校4年生からバレーボールを始める(2歳上の姉の影響を受けて)。
この頃の将来の夢は全日本の女子バレー選手だった。
バレーの有名校に入り、身近な目標であった姉。
しかし、なかなかレギュラーを取ることが出来ずにいた。
それを見て、身長が伸びず悩んでいた名和は、中学3年生でバレーボール選手になることを間接的に断念してしまう。
そして、高校に入りボウリングの道へ…。

高校時代

父親の指導もあり、すぐにアベレージ180を超え、始めたその年に国体に出場する (父親は厳しいコーチで、指の皮がむけてもそのまま投げ続けた)。
何度も辞めたいと思ったが、やめる決心もつかないまま続け、国体3年連続出場を果たしながら、入賞には届かず。しかし、国体出場の実績から、スポーツ推薦で國學院大学に入学、ボウリング部に所属する(父の正年さんも國學院大学の卒業生で、大学のボウリング部のコーチを務めていた)。99年2月、大学1年生のとき、初めて出場した全日本学生選抜選手権で決勝まで1〜2位にとどまり続けたが、最後のマッチゲームで後退。1位から4位に転落。その敗北をきっかけにボウリングに自主的に取り組むようになる(翌年は優勝し、リベンジを果たす)。その後、アベレージは200を超え、大学2年から4年までナショナルチームのメンバーに選抜される。

プロ受験〜合格

大学4年生のときにナショナルチームの入れ替えで落選。
落胆していた時に、父の「力試しに受けてみたら」という一言を受けてプロ試験受験を決める(それまではプロを意識したことはなかった)。
2002年大学卒業と同時にプロテストを受験し、一発で合格。

プロ合格〜現在

合格してからは母校、國學院大学での事務職員とプロボウラーという2足のわらじで活動する。
大学の職員、ボウリングの練習、試合と当時の睡眠時間は3時間か4時間。
この生活を2年間続けるが、途中、ストレスが溜まり急性胃炎になったこともあった。
再び訪れた転機は2003年の全日本選手権。
4位に入り、2004年のほぼ全試合に出場できるシード権を得たことをきっかけに、ボウリング一本に絞ることを決意する。
その後、相模原パークレーンズと契約し、現在はプロボウラー一本の活動となる。

2015年は開幕早々に自身3勝目を獲得するなど、好調さが伺える。

その他/エピソードなど

幼い頃、父に連れられて行ったゴルフの打ちっぱなしで、手の皮がむけるまでひたすら打っていたことがあった。
この生まれ持った集中力が現在もボウリングというメンタルな競技に生かされている。
大学時代、ナショナルチームの海外遠征でアラブ首長国連邦に行った際、大会を見に来ていた石油王にプロポーズされる。が、当時19歳だったため、断ってしまう。
趣味は映画鑑賞。ビデオを借りてきて1日に5本、ご飯も食べずに続けて観ることも。